兄がネットワークビジネスにハマった話 Part1
こんにちは。Naotoです。
今回から何章かに分けて、兄がネットワークビジネスにハマった話を書いていきたいと思います。
現時点ではまだネットワークビジネスに加入したという話までとなりますが、ぜひ最後までお付き合いいただけたらと思います。
兄がネットワークビジネスにハマった話 Part1
兄がネットワークビジネスにハマった話 Part2
兄がネットワークビジネスにハマった話 Part3
自己紹介
はじめに登場人物の自己紹介をさせていただきます。
Naoto
私Naotoと申します。
1991年北海道出身。東京でインフラ系のサーバエンジニアをやっております。
8歳のころから楽器をやっていて、高校卒業と同時に上京。
プロの現場で学び2016年からインフラエンジニアとして就職。
同時にプロの演奏の仕事ももらうことが出来てプロデビュー。
2021年にコロナの影響で音楽の仕事がゼロになる。
持続化給付金を使ってフランチャイズのレンタカー屋を開業するも、1年足らずで廃業。
失敗した経験を活かして、ブロガーとして活動しています。
兄 1
1988年生まれ。
北海道内の大学を出て、某鉄道会社へ就職。
5,6年?ほどしてから道内の市役所へ転職。
そこから心を病ませて部署移動や休職を経て、今の部署へ…(今何をしているのかはわかりませんが…)
その他家族構成
僕は3兄弟の末っ子なのですが、そのほかの家族構成を紹介しておきます。
父 | 市内のバス会社勤務。すでに定年。 |
母 | 道内の観光ホテルでアルバイト。病んでる兄を心配している。 |
兄 2 | 2番目の兄です。 道内の工場で経理をやっている。 |
叔母 | 母の妹。昔アムウェイをやってた。 |
今回ネットワークビジネスにハマったのは一番上の兄で、僕との間にもう一人兄がいます。
久しぶりの帰省
2023年の11月。僕は久しぶりに帰省をしました。
2010年に上京をしてから、あまり帰省する回数は多くありませんでした。
僕は通っている美容室は兄の同級生がやっていて、前々から「あいつ心を病んで休職してるらしいよ」という話は聞いていました。
それも2021年ごろの話だったので、僕はその後に部署移動したと聞いてすっかり兄の体調は良くなったものだと思っていました。
2023年11月に帰省した際に、午前中車でどこか出かけている様子がありました。
母曰く、「まだ心療内科に行ってるんだよねー」とのこと。
前よりはマシになっていたかもしれないけど、まだ体調は良くなっていなかったことを知りました。
僕はITの仕事をしていて、テレワークがメインになっています。
なので、今回の帰省は1週間ほど滞在することが出来たのですが、ある日兄と二人きりになる夜がありました。
こんな感じの話をされました。
実は僕も仕事が辛かった時期もあったり、それを乗り越えた経験がありました。
心療内科に行くほどではありませんでしたが、僕の経歴を少し書いていきます。
僕の経歴
正直、僕はいろんなことを経験しています。
1本の道で説明することが出来ないので、見出しを分けて説明します。
まとめると以下のような経験です。
インフラエンジニアの道
僕が現在会社員として勤めている会社では、インフラエンジニアとして働いています。
今やこの仕事に向いているなとは思っていますが、実は同じ仕事でも前の会社では向いてないなと思っていました。
というのも、職場環境というか先輩がクソだったからです。
あとは派遣だったので給料が全く上がらず、年収240万で止まるという点もありました。
金銭的な部分や、職場環境から心を病んでしまいましたが、心療内科などはいかずに持ちこたえていましたね。
みんなは遠慮なく言ったほうがいいです。
なぜなら会社で保険料を払ってるからですw
転職して職場環境が変わり、給与も変わりましたのでその点は解決できたなと思います。
音楽活動で多少の成功
僕は小さいころから楽器をやっていて、プロになるために上京しました。
実はアニソンをやったりイベントに出店したりと、割と成功している部類に入るのではないかと思います。
ただ、この成功の裏では非常に厳しい試練もありました。
音楽においてお金を稼ぐのはとても大変です。
それはみんな分かってると思いますが、これは衣食住何も満たすことが出来ないからです。
つまり生きていくために音楽というのは必要ないものなんですよね。
それを超越して、誰かの心に寄り添って必要とされる音楽になることでプロになることが出来るわけですが。
そのための戦略といいますか、人生と音楽と大変に向き合ってきたなと思います。
わかりやすい例を挙げると、制作活動は常に自己否定でした。
満足のいくモノを作っていくために否定&否定&否定。
そうやっていいものが出来上がるのですが、やっぱり否定の連続は心を病ませてしまいます。
フランチャイズでレンタカー
コロナによって音楽の仕事がなくなったタイミングで、持続化給付金を貰いました。
ビジネス脳だった僕は、そのお金を使って事業をやらなければならないと思っていました。
その時に「車好きだから、レンタカーでもやるか~」くらいのノリでレンタカー屋を始めました。
レンタカー屋自体は良いのですが、その時は自信が無かったのでフランチャイズで始めたんです。
そのフランチャイズ事業が不運だったのか、お金だけかかり借金を背負って廃業しました。
今となってはいい経験です。
このフランチャイズ事業に関しては、継続だとか廃業だとか、なんで失敗したのかとかいろいろ考えました。
一番自分と向き合うことがになった出来事だなと思います!
ブログで執筆活動で売り上げ
今はほとんどブロガーとして執筆活動をしています。
もともとレンタカーをやる前にブログは立ち上げていて、「あんまり稼げない」という理由でレンタカー屋に移行した経緯もあります。
自分は結構文章を書くのが好きなので、ブログ執筆は合っているなーと思いつつ、やはり売上を上げるのは大変でした。
いろんな経験を元に(主にフランチャイズのレンタカーの失敗体験)記事を書いていますが、徐々に読んでくれる人も増えて売上も上がってきていますね。
と、そんな感じの僕の経歴です。
次回は、兄からの相談内容や僕からのアドバイスについてお伝えしていきたいと思います。
兄がネットワークビジネスにハマった話 Part1
兄がネットワークビジネスにハマった話 Part2
兄がネットワークビジネスにハマった話 Part3